言葉の定義化2
前回の続き、といっていいのかくらいの間が空いてしまったが、前回の続き。
「定義」とは、一般にコミュニケーションを円滑に行うために、ある言葉の正確な意味や用法について、人々の間で共通認識を抱くために行われる作業。一般的にそれは「〇〇とは・・・・・である」という言い換えの形で行われる。基本的に定義が決められる場合は1つである。これは、複数の場合、矛盾が生じるからである。(Wikipedia先生)
である。ふむ。
さて、僕が今自分の中で抱えてる問題です。
よく迷子になる んです。道にじゃないんだけど。
話をしながら、空想しながら、物思いに耽りながら、「そもそもなんだっけ?」っていうのを忘れてしまうのです。書いてる今もそうなんです。思いついた方向に考えがすぐにいってしまって、「あれ、今日のテーマなんだっけ?」ってのの繰り返し。結局、書きたいことが変わったり、まとまらなくなって、今日はもういーやーってのがいつものパターン。
かつて南米を旅していた時に聞いた(読んだ?それも忘れた・・・)話なんですが、
日本人は、道に迷うと、地図をみる
外国人は、道に迷うと、人に聞く
ってのです。
すでに、人に聞きまくっていたので、「普通の日本人は地図をみるのかー」とか思った記憶があります。んなこたいんだけど。
で、最近の問題、「話の迷子になったとき」は、人に聞きます。(もちろん地図も読みます。ウィキペディア先生とかありがたい!)
で、今回のテーマは、聞いたときの話です。やっとここまできた。
「青少年の健全育成」って何か知ってますか?
今日も疲れたのでここまで。